35歳で鎌倉に移住し人生の再スタートを切った私の過去のストーリー

こんにちは!

「ENJOY YOUR LIFE! 一度きりの人生、楽しまなくちゃ♪」をテーマにこのブログを運営しているRomyです。

現在鎌倉の海のそば在住、夫と小学3年生の息子と3人暮らし。

バイリンガルナレーター・Webメディアの記事校正・トラベルライター・ブロガーなどしています♪

この記事では私自身の過去を詳しくご紹介しているので、ちょっと長いですが読んでいただけたら嬉しいです!

Romy
ちなみに上の写真ではチョイとかっこつけてますが… 実際はかなりポンコツな面が多々ある30代主婦です w

 

スポンサーリンク

学生時代

5〜10歳をニューヨークで過ごし、楽し過ぎる日々を送る

年長さんの途中まで横浜に住んでいましたが、父の転勤に伴いニューヨーク郊外へ引っ越し、幼稚園と小学1〜4年までの計5年間を過ごしました。

newyork

 

「人前で何かを表現する」ということが、この頃から私の日常の一部となりました。

小学生になってから日本人の先生の元でピアノを習い始め、毎年1~2回あった発表会では、ミスをほとんどしない、本番に強い子どもでした。

また、2年生頃からジャズダンスを習い始め、発表会にも一度出演。

Romy
その時は体がムチムチなのに「パープルの全身タイツ」という恐ろしい衣装で… あれは今でも苦い思い出です(笑)

 

現地の小学校でも様々な体験をしました!

課外活動(部活のようなもの)でもジャズダンスを選択し自分たちで振付を作ったり、乗馬を習ったり(!)、吹奏楽団でフルートを演奏したり。

中でも一番影響を受けたのは、コーラス部の先生との出会いでした。

歌詞一つ一つの意味をかみ砕いて私たちに伝えてくれ、それに声を乗せて聴いている人に届けていく。

時には厳しい指導もあったけど、彼の音楽への熱い思いは、ひょっとしたら私の活動の原点になっているかもしれません。

 

そして、アメリカ内外の様々な場所に旅行で連れて行ってもらえたのもいい思い出です!

アメリカの中ではメイン、ペンシルバニア、ワシントンD.C.、カリフォルニア、アリゾナ、フロリダ(3回も!)など。

海外ではバハマ(これまた3回も!)、ジャマイカ、バミューダと、なかなか行けないような南国の海に行き、現在の私の海好きもここから来ているのではないかと思っています♪

Romy
とにかく毎日が楽しすぎたニューヨークでの5年間でした!

 

日本に帰国し5・6年生は横浜のインターナショナルスクールへ

アメリカでのびのびと楽しく過ごしていた私でしたが、4年生が終わると日本に帰国。

両親の「英語を忘れてほしくない」という希望により、5年生からは横浜のインターナショナルスクールに通いました。

ここはイギリス系の学校で、聞き慣れないブリティッシュイングリッシュに苦戦。

雰囲気も「自由」「のびのび」だったアメリカとはちがって、なんとなく固い感じ…

 

でもそんな中の楽しかった思い出と言えば5年生のときのミュージカル出演!

1年に1回、ミュージカルを学校行事の一環として上演していたのです。

ブロードウェイで初めて観てからステージに立つことはひそかな憧れだったので、出演したい!とすぐ応募しました。

セリフが一言あったくらいだったけど(笑)、「自分たちのパフォーマンスを観て、喜んでくれる人たちがいる!」「楽しい!」と、人前に立って表現する喜びを改めて感じた経験でした。

Romy
しかし6年生になってからは徐々に学校が嫌になり、「辞めたい…」という思いがどんどん強くなっていき…

 

日本の中高一貫の女子校に編入し、文化のちがいに苦しむ日々

結局インターは6年生まで通って辞め、「絶対に日本の勉強にはついていけない!」と反対していた両親を説得し、自ら日本の学校への編入を希望(← 実態を分かっていなかったからです…)。

帰国子女枠でまだ受け入れてくれた鎌倉の私立の女子校に合格し、中学1年生の途中から約6年間過ごしました。

でも想像していたものとはちがい、逆カルチャーショックの連続で、苦悩ばかりの学生生活を送ることに…

 

「帰国子女」とは当時まだもの珍しい存在だったようで、編入した初日に「どの子が帰国子女の子??」とちがうクラスからも見学?見物?に来られたり。

それまでの感覚で何かを言っただけなのに、「わ〜〜〜この子キツイ!!」と騒ぎ立てられたり…

「このままではここに馴染めない」と危機を感じた私は、なるべく自分の意見をはっきり主張しないように気を付けながら生きるようになったのです。

Romy
そしてだんだん、親にも友達にも、自分の言いたいことが言えなくなり… これは30代前半まで引きずっていました。

 

この頃も「舞台に立ちたい!」という思いは変わらず、まずは演劇部に入部したものの思い描いていたもののと違い(理想だけは高くて…泣)、結局バトン部に入った私。

中学3年間は、ポンポンやバトンを持って体育祭や文化祭、県大会などでたくさん踊る経験を積みました。

ただ、いわゆる「体育会系」なノリ、女子校の独特の雰囲気、上下関係や根性論にはどうしても馴染めませんでした…

 

結局は「勉強をがんばって順位を上げる」ことを目標に自分なりに中学時代を過ごしましたが、アメリカに帰りたいという思いは常に心の片隅にある日々。

「死にたい…」と思ってベランダの下を見下ろすこともありました(2階だったけどね…苦笑)。

 

そして私の学校は進学校だったので、高校生になると早々に卒業後の進路の話が浮上。

「やっぱり舞台に立ちたい。じゃあまずはそういう学校に行こう!」と、舞台芸術の大学や専門学校、アメリカやイギリスの学校も調べました。

でも最終的にはそこまでする自信と勇気もなく、両親にも「大学にはちゃんと行きなさい」と助言され、まずは勉強を優先。

「大学に行ってから改めて演劇の道を目指そう」

その思いをエネルギーに替えて受験勉強に勤しみ、結果として受けた大学は全て合格。

その中で自分の感覚に一番合うと思い、上智大学に進学することを選びました。

highschool
Romy
これは卒業旅行の写真(笑)こんな芋臭さ全開のビジュアルだったので、本当に自分には自信がなかったのです… 勉強だけが取り柄だったな…

 

そういえば高校2年生の夏、人生初の入院&手術をしました。「卵巣膿腫」という病気で… 特に原因については何も言われませんでしたが、過度のストレスが原因だったのかも?と個人的には思っています。そしてこれによって、ますます女性としての自分に自信を失ったのでした。

 

大学生になって演劇三昧の生活に

1999年、晴れて華の?上智大生になり、「やりたいことはただ一つ。舞台に立つこと!」と早速サークル探し。

最初に入ったのは英語劇のサークルで、私は新入生として少しずつ舞台作りに携わり始めました。

初舞台はメンバーのオリジナル作品(日本語)で… 娼婦の役^_^;

first_stage

 

上智には演劇サークルが10数個あり、他のサークルにも顔を出すうちになぜかロシア語劇団のメンバーに!

と言ってもロシア語で芝居をするわけではなく、主に「チェーホフ」というロシアの有名な戯曲家の作品を日本語で上演していました。

そこで何度か舞台に立った中で最も思い出深いのは「かもめ」という作品。

私は主役のニーナという役がやりたかったけどそれには抜擢されず、マーシャという、黒い服をずっと着た暗い役でしたが(笑)

 

大学3年頃になると、「より本格的に自分たちの舞台を作りたい!」というメンバーが集まってオリジナルの劇団を立ち上げ、私はそこの中心メンバーとして、役者をしながら舞台美術やチラシ制作などいろいろな仕事に携わりました。

「一つの作品を自分たちの手で一から創り上げる」という経験は、のちのベリーダンスパフォーマンスの演出にも役に立ったのではないかと思います。

Romy
とにかく寝ても覚めても演劇!な大学時代でした。

 

でも芝居に打ち込めば打ち込むほど、やってくる現実が「就職活動」。

芝居をやっている周りの先輩の多くは留年していたり、卒業してからもフリーターをしながら続けている人もいました。

私も「就職なんて考えられない!このまま芝居を続けていくんだ!」そう思い、しばらくは就活は適当にやっていたのですが…

結局高校生の頃そうしたように、このときもまた「まずは無難に就職してから、改めて自分の道を追求していこう」と決めたのでした。

Romy
学生の頃は、やりたいことを諦めて先送りにする傾向にありましたね…

 

社会人になってから(2003年〜)

うつ気味になり、会社員生活は1年にも満たず

2003年に止むなく就職したものの、自分の中では「1年で辞める!」と決めていた私。

実際は少し早い9ヶ月で辞めました(笑)

やっぱり人間、無理してはいけません。

嫌だ嫌だ~~!!と思って毎日過ごしていると、だんだん体の調子が悪くなってくるのです。

 

大学生の頃もそうだったのですが、人が多いところがとにかく苦手で…

朝職場に行くのが苦痛で仕方なく、満員電車も辛くて途中下車し、少し気持ちが落ち着いてから出勤する… なんていうこともしょっちゅう。

オフィスビル内の大人数が乗るエレベーターに同乗するのが怖くて、7階まで階段で行ったり…

診療内科に通って、軽い精神安定剤を処方してもらってもいました。

完全に気休めでしたが…

 

でもそんなことをいつまでも続けていたって仕方がないと、頭の中ではわかっていました。

「なんとかしてこの現実を変えていかなきゃ!」

そう思った私は、まず何か自分が好きなことを趣味として始めようと考え、ずっと興味があったフラメンコを習い始めました。

週末にできた息抜きの時間は救いで!

ダンスがあったおかげで、この辛い時期をなんとか乗り越えるができました。

Romy
好きなことを少しでも生活に取り入れるって大事ですね♪ 「好き」「楽しい」のパワーはすごいです!

 

ナレーターとして大きな仕事が舞い込んできた!

実は大学4年の終わりから、友人に声をかけてもらったことがきっかけで現在のナレーター事務所に所属していました。

ただ、いきなり仕事が入ってくるわけもないので、事務所に通って何度もレッスンをしてもらい、会社員生活と平行して下積みをしていたんです。

それが2003年も終わりに差し掛かっていたとき、「大きな仕事の話が来た!」と事務所から言われ…

それが世界最大のミュージックチャンネル「MTV」の一大イベントの専属ナレーターの仕事だったのです!

ついに仕事を辞める時が来た!と判断し、短いOL生活にピリオドを打ちました。

 

これは私の人生の中でも大きな転換期。

それまでは「親に言われて」自分のやりたいことを諦めていた私が、ようやく自分の意志で自分の道を決意することができたのです。

 

このとき私の「個人事業主」としてのワークスタイルがスタート。

ナレーターの仕事をしつつ、小さな化粧品マーケティング会社で美容に関する翻訳等の仕事をする2本の柱でしばらく働くようになりました。

think-talk-aids

(↑ 2009年のJ-WAVEでのイベント時。普段はブースに入って収録しています)

 

ベリーダンスに出会ってはまる

フラメンコを習っていたスクールでは他にもいろいろなクラスがあって土日受け放題!

ヨガ、フラメンコ、時々バレエを習い、とっても充実した週末を送り始めていました。

そしてスクール主催のイベントに出演したときに、ベリーダンスに出会ったのです!

それまでベリーダンスの「べ」の字も知らなかった私ですが、瞬時に魅了されました。

やってみたい~~!!と、フラメンコと並行してべりーダンスのレッスンにも通い始め、フラメンコはいつの間にかやめていました(笑)

Romy
これほど「体にはまった」と感じた踊りはなく、とにかく踊っていて体が心地よいんです!

 

今まではヒーヒー言いながら、本当に顔を真っ赤にして呼吸が苦しくなりながら踊っていたこともあったのですが(涙)

ベリーダンスだと汗はたくさん出るけど、そういう苦しさがないのです。

始めていくうちに、ベリーダンスにはいろんなスタイルがあることを知り、その時その時に惹かれた先生に習っていました。

Romy
こんな時代もあったのです…(苦笑)
これは生徒として習っていたときで、いわゆる “トライバルスタイル” になります!

 

こちらの記事もあわせてどうぞ

 

スポンサーリンク

結婚してから(2006年〜)

なんと25歳というけっこうな若さで結婚しました!23〜26歳頃の私はかなり勢いに乗っていたようですね w

ベリーダンサーとして活動スタート

この頃は出たがりだったので(笑)、機会さえあれば発表会やイベントに出させてもらっていましたが、習い始めて3年くらいしてからはその欲がどんどん大きくなり、もう少し積極的に踊れる場を探すようになりました。

とにかく「好き!踊りたい!」という気持ちだけで行動。

こういうときは本当に勢いがすごいんです…

Romy
10代の頃は完全に失っていた積極性をすっかり取り戻しました!

 

とあるレストランでのベリーダンサーオーディションを受け、無事に合格。

2007年の夏頃から踊らせていただくようになりました!

一時期は毎週ショーを持たせていただき、少しではあったけど踊ることでギャラをもらえるようになったのです(ベリーダンス業界では「お金をもらえる=プロダンサー」という認識)。

Romy
これは初めてのレストランショーでの1枚。その少し前に旅行で行ったイスタンブールで購入した一張羅を着て!こちらはさっきの衣装とは打って変わって “オリエンタルスタイル”。この頃はパープルが好きだったのかな(笑)?

 

インストラクターとしての活動もスタート

そしてプロダンサーとして活動し始めた勢いに乗って、2007年10月よりベリーダンスを教え始めました。

きっかけは「ベリーダンスの魅力を他の女性にも知ってほしい!」という純粋な思いから。

当時流行っていたmixiでインストラクター募集の投稿を探した記憶があります…

 

でも、講師になるための指導は受けずに、若さと勢いだけで始めてしまった私。

「どうやったら初心者の方に理解してもらえるか?レッスンを楽しんでもらえるか?」試行錯誤の日々でした。

 

その後また別の募集を見つけて応募した「AALANJU」というスクールの所属インストラクターとなり、1か月ほどの見習い期間を経て、2008年1月よりレッスンを持たせてもらえるように。

まだ自分自身がインストラクターとして駆け出しにも関わらず、大手フィットネスクラブにおけるベリーダンスインストラクター養成講座を北海道と名古屋で担当する機会もいただきました。

この時の経験は、私のレッスンの礎となっています。

 

初めての妊娠

いよいよベリーダンサーとしての活動を本格化させよう!と気合いを入れていた矢先に、なんと妊娠!

27歳のときでした。

正直「なんでこのタイミングなのよ??」と思いましたが、幸い妊娠の経過がずっと良好だったので、それまでと変わらずにレッスンやダンサー活動を続行。

まだ周りのベリーダンサーで妊娠・出産を経験していた人はほとんどいなく、不安でいっぱいでしたが…

マタニティベリーダンス

 

結局妊娠9か月の頃に最後のパフォーマンスを終え、臨月に入ってから最後のレッスンを終え「さぁそろそろ出産の準備でもしようかな」と思ったら…

予定日より2週間くらい早く、最後のレッスンの4日後に息子が出てきちゃいました(笑)

Romy
これがまた初産なのに超安産で、助産院で出産しましたが到着して1〜2時間後にはもう外に出てました w
ベリーダンスのおかげだと思ってます!

 

産後もすぐ活動開始し、「ロミーベリーダンススクール」を立ち上げる

本来なら赤ちゃんとゆっくり過ごすべき時期にも関わらず、私の心の中は「不安」「焦り」でいっぱい…

活躍の幅を広げている他のベリーダンサーの遅れを取ってはいけない!と、産後3ヶ月でレッスンを再開。

そこから少しずつ新たに教えられるスクールを探しつつ、パフォーマンスも産後6ヶ月頃に復帰。

Romy
この頃から徐々に何かが狂い始めていきます…

 

カルチャースクールやママ向けサロンでレッスンを担当していたところ、2010年7月にひょんな流れから「ロミーベリーダンススクール」を立ち上げて自らレッスンを主催することになりました。

自分の手で生徒さんを集める・スクールを運営するというのは、「与えられた場で教える」とは全くちがい、試行錯誤の日々が始まります。

2013年秋からは、カルチャースクールやフィットネスクラブでのクラスを全て手放して主催クラスのみにし、自由ヶ丘や渋谷、東銀座などで初心者・経験者向けレッスンを開催。

毎年2〜3回は発表会を主催したりイベントに出演したりと、息をつく間もない日々でした。

Romy
とにかく無我夢中で、何かに追われるようにひた走る日々で… 徐々に家庭を顧みない人に(><)

 

人生最大の危機?(2015年)

セミナー通いとSNS中毒 → 夫婦関係の危機

自分のスクールを立ち上げた2010年からアメブロでの集客を始め、その流れから様々な集客セミナー、ブログ講座やビジネスコンサルなどを受けるように。

いつの間にか最近で言う「SNS起業」とか「起業女子」とかの世界にどっぷり浸かっていました。

レッスンを数か所で主催して生徒さんを抱えながら、常に次の発表会の企画、振付作り、リハーサル… とスクール経営者として活動する日々。

それに加えて、生徒数を増やして売上を上げるべくセミナー通いをし、日常の中の華やかな一面を切り取ってブログ・Facebook投稿などに投稿する…

そんなことをずっと繰り返していくうちに、不穏な空気が家庭内を流れ始めるわけです。

Romy
そりゃそうですよね、妻が年がら年中ブログのネタ集めをし、謎の自撮りや動画撮影をしだすんだから(笑)

 

これは今でこそ笑い話にできるけど、当時はほんっとうにもう、無我夢中過ぎて全く周りが見えなくなっていたんです。

それでいて、そこまで売上が良いわけでもなく…

何度も夫にセミナー通いやベリーダンスの活動自体を止められつつも、「いや、もっとがんばったら結果が出るから!」とゴリ押しする私。

そんなことを数年続けているうちに、もともとアトピー持ちだったのがどんどん悪化するようになり、いよいよ夫婦関係の危機も本格化していき…

2015年春にまずはスクールを手放すことにしました。

 

アトピーで身も心もボロボロになり、自分が本当に求めているものに気づく

スクール運営を辞めたものの、完全にベリーダンスを手放すところまではいかず、中途半端な形でレッスンを継続。

でもそれまでの無理が積もりに積もって、もう身も心もボロボロでした。

このブログには写真を載せられないくらい、体はやつれ、皮膚は赤くてガサガサで、目はうつろで…

「もうこんな私生きていたって意味がない!死ねばいい!」なんて発狂することもありました。

 

それでも根底にある前向き精神のおかげで(そして最愛の息子の存在があったから)、なんとかしてこれを乗り換えなきゃと思い、自分と徹底的に向き合うことにしました。

ベリーダンサー・講師としての活動を始めてから、とにかく「人気になること」「売れること」ばかりを追い求めて、本当に自分がしたいことからはどんどん離れて行っていたことに気づいたんです。

ただ純粋に踊ることが好きだったのに…

そして家族で楽しく笑いながら暮らしたいだけだったのに、「生活のために稼がなきゃ」という思いから家庭を蔑ろにするという本末転倒っぷり。

Romy
本当はもっとシンプルな暮らしがしたかったんだ、とだんだん気づいていきました!

 

離婚の危機を免れ、修復の道に

離婚するかどうか夫と話し合いを何度も重ねていたのですが、そのうち2人で話していると仲が良かった頃と何ら変わらない調子で話せるようになり…

  • あれ?これってもしかして単にコミュニケーション不足じゃない??
  • お互いに夫婦関係を良くする努力をしないまま、相手のせいにして、「もう無理だ」と言っていたんじゃ?

ということに気づき…

Romy
じゃ離婚は止めて、関係修復の道を探ろうよ!ってことに落ち着きました(笑)

 

かなり危機一髪!ってところでしたが、やっぱり息子の存在が2人の中で相当大きかったのでしょう。

彼がいたから、大切なことに気づかせてもらえたんだと思います。

そうして、2015年の夏から一気に修復へと向かっていきました。

 

鎌倉に引っ越し、人生再スタート!(2016年〜)

生活拠点を鎌倉に変えて一気に好転

結局のところ、2人とも若くして結婚したこともあって、「ちゃんとしなきゃ」という思い込みが強くて無理していたんですよね。

そして本当にやりたいこと・好きなことを我慢していたから、相手への不満もどんどん蓄積されていってたわけです。

「じゃあそんなの止めちゃおう!もっと自分たちらしく生きよう!」ってことで、少しずつ生活全般を見直していくうちに、6年住んだ横浜のマイホームを売却し、海と山がそばにある鎌倉に引っ越す流れになりました♪

 

こちらの記事もあわせてどうぞ

 

鎌倉に来てからは生活がガラッと変化。

私自身はずっと欲しかったカメラを購入し、写真が日常の一部となりました。

また、ずっと行きたかった海外旅行にもついに行けて(しかもこれまでの分を取り戻すかのように、1年以内に3回も w)。

旅に関することを仕事にしたいな〜と思っているうちにトラベルライターとしての活動もスタートしたのです♪

これに関してはまだ収入と言えるほどではないけど、「継続は力なり」ってことで、長い目で見て続けていきたいと思っています。

Romy
Romy
子どもの頃から歌ったり踊ったり演じたり、と表現活動が好きだったのが、「文章と写真を通じて表現するスタイル」に変化したようです♪

 

人生、楽しまなきゃでしょ!

10代から30代前半にかけてのアップダウンの繰り返しを経た私の結論は、「一度きりの人生なんだから、楽しまなくちゃ!」ということなんです。

他人の目を気にして、我慢したり、無理したり、諦めたりするのを止めて

↓↓↓

「こうあるべきだ」という世間の常識や枠を取っ払って

↓↓↓

心を自由にして、この人生を思いっきり楽しもう!

 

このように思っているし、そういう生き方を体現することで、もっと人生を謳歌する人が増えたらな〜という気持ちでこのブログも日々更新しています^^

 

最後に

オーストラリア・ケアンズの花

 

ここまで長文にお付き合いいただきありがとうございました!

生真面目だったりストイックなところもあるけど、基本的には快楽主義者でちゃらんぽらんでおっちょこちょいな私です(笑)

そして日本においては社会不適合者の部類に入ると思いますが w

これからますます楽しく過ごしていきながら、「枠にとらわれずに人生をエンジョイする方法」をブログで発信していきますので、ぜひ今後も読んでいただけたら嬉しいです!

 

こちらの記事もあわせてどうぞ

 

★RomyのSNS(フォローはお気軽に)

 

スポンサーリンク

ABOUTこの記事をかいた人

鎌倉在住・30代後半のバイリンガルナレーター/ブロガー/旅ライター。小3男子ママ。趣味はブログ、サーフィン、コーヒ&スイーツが美味しいカフェ巡り。海と夕焼けが大好き。

このブログでは、鎌倉のグルメ・観光・暮らし、お出かけ、ブログ運営、仕事など、30代ママフリーランサーの日常を発信しています!

Romyのプロフィール
35歳で鎌倉に移住し人生の再スタートを切った私の過去のストーリー
Romyの経歴一覧とお仕事依頼・お問い合わせフォーム