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【ピースボートV117】#5 南アフリカのサファリツアーとペンギンコロニー&喜望峰、アパルトヘイトについて
ピースボートV117の5,6番目の寄港地は、南アフリカのポートエリザベス・ケープタウン/Port Victoria and Capetown, South Africa!合計3日過ごしました。
全て通訳としてツアーに同行し、私にとってはボヤージュ全体を通して考えても、かなり思い出深い寄港地に!
2日連続で行けたサファリツアー体験は衝撃と興奮、感動の嵐だったし、それほどの期待も想像も抱かずに行った(失礼!)ケープタウンの美しさにも魅了された。
もちろんそれだけではなく、アパルトヘイト(人種隔離政策)という暗黒の歴史がある土地でもあり、その影響やトラウマを今でも受けながら人々は暮らしていることも忘れてはならない。
NGOピースボートのクルーズスタッフとして、人生初の地球一周の船旅へ!2024年4月13日に横浜港を出航し、西回りの航路でぐるっと地球を周り、7月26日、無事に横浜港に生還しました😆
南アフリカの基本情報
- アフリカで最南端の国
- 人口:6100万人
- 四季がはっきりしている(私たちが行ったのは秋にあたる)
- 夏:21~32度/冬:10~21度
- 11の公用語(クリックサウンド)
- 10の世界遺産がある(ケープタウン:ケープ植物区保護地域群とロベン島)
- 通貨:南アフリカ・ランド(ZAR) 1ZAR = 8.32F9 1USD = 18.53ZAR
- 言語はアフリカ語、英語、コサ語(家庭などで話される言葉)、ズール語の4言語が中心
- 9つの州がある
- ロベン島は、apartheid時代に黒人の刑務所になっていた場所。マンデラも収監。
- 気候:熱帯(tropical)、亜熱帯(sub tropical)の両方。乾燥している。山火事が起こりやすい。
2024年5月8〜9日:ポートエリザベス(ケベハ)
一つ前の寄港地セーシェルが5月1日で、その後再び1週間の洋上期間を経て南アフリカに到着!(その間は「アラビアンナイト」という大型イベントが開催↓)
最初の2日間はポートエリザベス(ケベハ)に停泊した。
私の通訳メモが残っていたので、まずはポートエリザベスがどんなところかを簡単にご紹介:
- 初めての総督(governor)ダンキンさんの、インドで亡くなった妻Elizabethから来た名前
- ポートエリザベスの名前は2019年頃Gqeberha(ケベハ)に改名。コサ語から来ている。ケの前にクリックサウンドが入る!
- 別名フレンドリーシティ。あらゆる人を歓迎するから
- ネルソン・マンデラはこの州で生まれ、亡くなっている
- 新しい港も作っていて、そっちを産業用にする予定。マンガン(manganese)を掘り起こす機械を全部そこに持っていこうとしている
船から見た港の様子が上記の写真で、残念ながら心躍る風景ではない笑 南アフリカの産業についてご紹介すると
- どちらかと言うと貧しく栄えてない。主産業がない。敢えて言うなら自動車産業で、輸出するフォルクスワーゲンがズラリと並んでいるのが見える。中国のBAICの工場も
- 塩田(salt pan)も盛ん。ピンクになるときがある。えびが入っていてフラミンゴが食べに来る
- 発電:主に石炭(coal)。最近は代用を探してきて、太陽光発電や風車も見られるように
アド・エレファント国立公園のサファリツアー
私は幸運にも2日連続でサファリツアーに通訳として参加することが叶い、初日はアド・エレファント国立公園(Addo Elephant National Park)へ!
もともとこの地では柑橘類を育てていて、それはゾウの大好物。彼らが集まり木の破壊を繰り返すようになり、政府が1920年にゾウを殺す政策を行ったのだとか。
ところが700頭から11頭に減少してしまい、今度は保護する必要があるということで、この国立公園を作ったらしい。(人間って本当に勝手な生き物だなと思う……)
この国立公園は海に面しているため、クジラ、サメも見られるとのこと。ちなみに彼らを含めて「big 7」と言うのだけど、そもそも「big 5」とは何かというと
- ゾウ
- ライオン
- ヒョウ
- サイ
- バッファロー
の5種類の動物で、文字通り体がビッグ!な奴ら。(試験に出ます笑 少なくとも私たち通訳は暗記必須!)
トロフィーハンターにとって最もチャレンジングで危険な動物と考えられ、19世紀からこう呼ばれるようになったそう。どれも今はかなり数が減少しているのが残念……
バスの中から動物たちを見るツアーでご覧のようにゾウを中心にキリンも見た記憶はあるけど、他の動物はどうだったかな…… 見られたはず!
でも通訳をやっていると写真どころじゃないし記憶も曖昧😭
アマカーラ・ゲーム保護区のサファリツアー
2日目はアマカーラ・ゲーム保護区(Amakhala Game Reserve)へ。
こっちのサファリが楽しすぎて、ピースボートのスタッフになってよかったと心から思えた時間だった!(それまでの苦労が吹き飛ぶくらい😂)
サファリツアーらしく、みんなでジープに乗って保護区内をめぐります。(グループが複数のジープに分散するため、通訳の仕事は休憩!だから心から楽しめたし写真がちゃんとある)
こんなふうに目の前にキリンが登場!ジープを止めてしばらく静かに見守る。そして後ろ姿になりがち笑
アンテロープは種類が多すぎて覚えられなかったけど、南アを代表する動物🫎
豆知識。シロサイは、草を食べるから口が大きい。wide → white rinoと呼ばれるようになった!そしてクロサイは低木を食べるから口が小さい。whiteがあるからblackになったらしい😅
サイのツノが病気の予防(ガン?)に効くという噂があったせいで、ハンターがいるそうだ。彼らに見つからないよう、GPSはカットされている。
シマウマは、一つ一つのシマがちがう(人間の指紋みたい)。ドンキーの仲間なのだそう!知らなかった。びっくりするとオナラをするらしい笑
寝るときは2頭でお互いのお尻に頭を乗せて、獲物から襲われないようにするのだとか。
キリンもシマウマもかわいかったなぁ❤️
そして写真にはないけど、実はメスライオンの食事中の様子も目撃でき、BIG 5のうち、ゾウ、サイ、バッファロー、ライオンの4つも見られたのがとてもラッキーだった!(ヒョウを昼間に見るのはかなりむずかしいらしい)
南アフリカの食事ってどんなものか想像つかなかったけど、ビュッフェスタイルで一皿に盛ってこんな感じのランチに。どれも美味しかった!
動物を見たあとに肉を食べるのは複雑な気持ちになったものの笑、食事も、これまでに目にしたことのない大自然も堪能でき、大満足のサファリ体験だった。
2024年5月11日:ケープタウンでペンギンコロニーと喜望峰
1日の洋上を挟んで、3日目の南アフリカはケープタウンへ!少しずつテーブルマウンテンが迫ってくる感じ、美しかったなぁ。
私はペンギンコロニーと喜望峰を訪れる王道のケープタウンツアーに参加し、これまたとっても充実の1日だった!
確か船の着岸が遅れ、訪れるはずの場所が1箇所省かれたような。そんなわけで、出発してまずはランチへ。向かったのは、サイモンズタウン(Simon’s Town)。
道中の景色が美しく、シーフード料理もめちゃくちゃ美味しく、「ここに住みたいね」とスタッフどうしで話していたくらい笑
そしてペンギンコロニーへ。かわいいーーーー!!
1982年には2組しかいなかったペンギンが、今では2,200くらいいるのだとか!その理由は、商業用のトロール網が減ったから。
そのおかげで、ペンギンの餌であるイワシやアンチョビが増えたらしい。ちなみにペンギンの敵はサメ、オットセイ、マングース、ジェネット、シャチなど。
ペンギンは12月に生え替わり、餌を取りに行き、1月に交尾し、2〜8月に巣を作るのだそう。(ペンギンはmonogamousで、パートナーは一匹?一頭?なんだって)
最後は喜望峰へ!閉館?時間ギリギリになってしまい、みんなで慌てて写真を撮ったり展望台まで登ったりして大変!
あの展望台まで登る時間と体力はあるのか…… ドキドキしながらも、ダッシュで登ると……
息を呑むような絶景が目の前に広がっていた!今思い出して涙が出てくるくらい、そのとき感動したなぁ。みんなで走ったのがまた面白かった😂
ブレてしまったけど、帰り道に見た夜景も美しく、バスドライバーと私たちとキャッキャずっとおしゃべりしていたインド出身のガイドさんの存在も思い出深い笑
繰り返すけど、ケープタウンは何の想像も期待もなく行ったから余計になのか、自然の迫力と美しさに魅了され、すごく好きな場所の一つに😊
補足:アパルトヘイトとタウンシップ、ランガ地区
ちょうどこのアフリカ航海中の船上では、アパルトヘイト時代とその後、黒人たちが隔離されたタウンシップと呼ばれる地区などについても事前に学ぶ機会があった。
それらのレクチャーを担当したのは、水先案内人として乗船していたトニー エルヴィン(Tony Elvin)。
彼は複数あるタウンシップのうちランガ地区に住みながら、「Ikhaya le Langa NPO」を設立してコミュニティの底上げに取り組んでいる人。
Tonyが話してくれたケープタウンやタウンシップについてのメモをシェア:
- ケープタウンとは、ヨーロッパの人たちが祖国から離れた家を求めて開拓した場所と言える。
- ヨーロッパのあらゆる場所から来た人々、アフリカ中の人々、そして中東やインドの人々がいて、現在では世界中で最も多様なエリア。
- 生物多様性もとても豊か。
- 1901年?センペスト流行を黒人のせいにして、それを理由に白人と黒人を隔離するのが始まった。そして1923年に、タウンシップが始まるきっかけとなる法律が生まれた。
- 1948年アパルトヘイト開始。オランダ人の言葉、アフリカーナ語が公用語に。
- 黒人はタウンシップにしか住めなくなり、外を出るなら白人のサインが必要に。道やトイレなど、あらゆるものが白人黒人に分かれた。
- 73の公式タウンシップがあり、非公式も500以上ある。国の1/4がいまだ住んでいる。過去と現在では、状況が大して変わらない。
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- 南アの人たちは世界中の人が好きだけど、自分たちのことが嫌い。タウンシップの人たちのトラウマ。白人のトラウマ。それぞれがある。
- 希望を失った若者がとても多い(例えば両親が不在で育った子たち)。
- 大事なことは「remembering」。代々彼らが持っているアフリカの価値観を思い出してもらうよう、働きかけている。
- タウンシップを「places of creativity & innovation」として捉えると、さまざまなことが可能になる。
- タウンシップを訪れるツアーが行われるようになったが、サイドディッシュではなくメインとして。しっかりお金を落としてもらう「community based tourism」にしていきたい。
アパルトヘイト廃止後も、白人・黒人ともにさまざまなトラウマを抱えて苦しみ、夢を持つことができない現状を知ってショックだった。
私は南アのタウンシップには残念ながら行けなかったけど、ナミビアでは行けたから多少はそういう側面も見ることができてよかった。ナミビアの話は次回!
動物たちの様子はYouTubeでもぜひ!
こちらもあわせてゆるりとご覧ください🦓