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ピースボートに乗船して初の地球一周を達成!日本に“一時帰国中“の心境とインドネシアに向けて

日本到着

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NGOピースボートのクルーズスタッフとして、人生初の地球一周の船旅へ!4月13日に横浜港を出航し、西回りの航路でぐるっと地球を周り、7月26日、無事に横浜港に生還してきた。

本当に、文字通り「生還」した感が強かった今回の体験!2年分くらいのことをギュギュッとまとめて3ヶ月半でこなしていく。

そんな感じのピースボート生活で、とにかく次から次へとイベントの企画と準備と実行に追われ、船内生活の合間にある寄港地ではツアーに行き……

休む暇なく、汗水垂らして働くような日々だった😂私の人生でそんなことって久しぶり!

それについて書きたいことも山ほどあるのだけど、まずは次のインドネシア旅(!)に出る前、帰国してから約3週間くらいの日々とそこで生まれた感情について綴っておくことにした。

ちなみに乗船前のブログはこちら:

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※船旅の様子はさまざまなソーシャルメディアで発信してきたので、そちらも併せてご覧ください☺️(ブログの一番下にInstagramとYouTubeが貼ってあります)

目次

日本に「帰ってきてしまった」という感覚

ピースボート最後の夜の月
最後の夜に見た月

7月に入っても、相変わらず最後までどれだけ働かせるんだ笑??と思うような激務で怒涛の日々だった。

ただそれらをこなす大変さと同時に「あぁ、もう少しで日本に帰ってしまうのか……」と、ゾッとするような、恐怖に近い感覚に襲われるようになった。

もう私は日本を出る!と決意したのが、2023年9月。(上記記事にその経緯を書いています)

2024年が明けてまずはバリ島に行き、そして今はピースボートに乗って世界を回っている。

この流れを止めてはいけないし、「日本に留まるのは長くて3週間くらい。1ヶ月いてはダメだ」と直感は言っていた。

次の行き先は諸事情によりインドネシアと確か6月に決めていて、出発日に悩んだ挙句に片道航空券を押さえたのが7月16日。

出発日は8月19日。お盆の時期は避けて、かつ1ヶ月経たないうちに日本を出るべく、決まってないことはたくさんあるけどとにかくその日程になった。

だから近々また海外に行けることは確定していたにも関わらず、日本帰国にどんよりとしていた。(日本よ、ごめん…… 嫌いなわけではないんだけどね)

そしてもちろんそれだけではない。

何度もこのやろー!と思ったピースボートと過酷な暮らしが終わりを迎えることに、最後の1週間くらいで実感がようやく湧いてきた。

いや、頭の片隅ではもちろんわかっていたし、辛くなるのも目に見えていたけど、多分それをなるべく感じないように自分を仕向けていたのだと思う。

そうでないと、仲間たちの顔を見るたびに号泣することになってしまう。たまにウルッとするくらいに留めていた。

日本到着

そんなわけで、日本に帰りたくなかった気持ちと、ピースボートとみんなへの愛おしさや切なさを抱えて、7月26日、ついに私は日本の横浜に降り立ったのだった。

(後日、私を迎えに来た母からは「あの日はあまりの疲れた姿に本当に心配した」と言われたくらい、ゾンビのようになっていたらしい……↑)

地球一周からリカバーするのに必要だったのは1週間??

今回一度だけまともに行って足を浸けた海は逗子海岸!

さて、インドネシアに飛び立つまでの私のスケジュールは下記のようになった(後半は帰国してから最終確定):

  1. 東逗子の友人宅に3泊(ご夫婦の生活の中にお邪魔して同居)
  2. 鎌倉の友人宅に14泊(ここは知人限定ゲストハウスのようになっている)
  3. 鵠沼の友人宅に6泊(友人家族がイギリス旅行中、別の知人と宿泊しながら犬のお世話をする)
  4. 鎌倉の友人宅に1泊(荷物をたくさん置かせてもらっているから、準備のために再び)

詳しくはさっきから触れている記事に書いてあるけど、私はピースボート乗船までの3ヶ月ちょっとの間、家を手放してあちこちを転々としていた。

そしてその頃もお世話になった友人たちに、今回もとてもお世話になった。

で、最初の3日間は疲労回復に重点を置いて、なるべく友人宅で昼寝したりのんびり過ごさせてもらった。

お土産のノルマンディー産シードル🍎
乗船前にこの友人宅の世界地図をともに眺めたなぁ

実はこの友人も10年前にボランティアとしてピースボートに乗船していて、何かと共感し合えることが多く、帰国後真っ先に会えて本当にホッとしたしありがたい存在!

私の身体はとにかく広い空間で、大の字になって寝ることを求めていて(日本に帰国して一番やりたかったこと笑)、ずっとアドレナリン出まくり・交感神経優位な状態でいたから、頭も心も鎮めたかった。

鎌倉で好きなのは夕暮れ時

そして次に向かったのは、年末まで住んでいた地元と呼べるであろう鎌倉。

ここで複雑な気持ちが湧いてきた。ピースボート前の自分の生活に戻ってしまうのでは?というまたしても恐怖に近い感情。

そんなにも私は鎌倉を、日本を憎悪していたっけ?なんなんだこの思いは?

とにかくあまりにもこのエリアで長く過ごしてきたために、いろんな人との思い出がそこらじゅうに溢れていて、それらを思い出さざるを得ないのが辛かった。

もちろんその中には楽しい思い出もあるけど、苦しかった結婚生活や離婚のプロセス、その後の大変さなど、思い出すとキューっと胸が締め付けられるようなものも多い。

「そんなこともあったな」とあっさり流せるようになるには、もう少し時間が必要なようだ。

そうだ、私は4ヶ月弱で今回日本に戻ってきたけど、もっと離れている必要が本当はある。なんなら1年に一度帰国するくらいでもいいのでは?

そんな風にも思い始めている。

なんと!巡り合わせでピースボートつながりの人に出会う!
やはり鎌倉とピースボートって何かあるんだな笑

そして日が経つごとにピースボートへの恋しさが募るばかり。仲間たちの中には、引き続き乗船して日本一周のショートクルーズ中の人たちも。あぁ、私も行きたかった……

なんてことをぐだぐだ考えながら、疲労困憊していた身体も1週間くらいでぼちぼち回復の兆しを見せ、「動きたい!仕事がしたい!なんなら今もう船に乗れる!」と思っていた😂

つまり、もう少し船上でまともな休みが取れてさえいたら、もっと私は健やかで楽しい生活を送れたのでは?次の課題としよう……(私にとってもピースボートにとっても笑)

この“一時帰国中“に気づいた、これからやりたいこと

鎌倉でコーヒーを淹れながら

幸いにも鎌倉では、以前やっていた活動の延長のようなものをやらせてもらえた。それは、コーヒーを淹れること!

鎌倉の友人のお店で週一くらい、まったりとコーヒーを淹れる「コーヒー部」という活動を半年くらい去年やっていて、そんな感じでまたカウンターに立つことができた。

しかも今回は、地球一周の間に仕入れたコーヒー豆を提供して!と言っても、どれだけ人が来てくれるか検討つかなかったし、カナリア諸島・コロンビア、と控えめに2箇所で購入した豆のみ😅

結局全部で5回もカウンターに立たせてもらい、豆は完売!(もちろん自分も毎回飲んでいたけど笑)

実は滞在先の友人がやっている間借りのごはん屋さんと一緒にお店に立ち、彼女のお客さんが食後に飲んでくれたおかげと言っても過言ではない。感謝✨

友人も「話し相手がいてくれて嬉しいわー」と言ってくれ、そこで大事なことに気づいた。

今後も海外をふらーっと旅したり、ノマド的にどこででも生きていくためには、やはりオンラインで完結する仕事をしたほうがいいよなーと、やや鬱々としながら日々仕事を検索していた。

そして実際、一つ決まっていた仕事もあったけど、全く気が乗らなくて進まず困っていた。

私はピースボートでがむしゃらに働いてきて、こうして今度は友人と一緒にお店を一時的にせよやっている。

もはやこのように直に人と接する仕事、そして単独ではなくチームワークでやる仕事じゃないとこれからはやりたくないかも??

もちろん、それらがときにはとても大変であることも散々経験してきている。ピースボートでもね笑

でもそういう関係性づくりの大変さも含めてやりがいを感じるし、NVC(非暴力コミュニケーション)実践者としては人と話すことは学びでしかない。

オンラインの仕事をやるにしても、人と接する・話すものがいい。今後の生き方や働き方を考える上で大きな気づきとなった☕️

鎌倉での美しいマジックアワー

そんなわけで、「これからどう生きていくの??」という不安と、ピースボートロスを抱えていた私がなんとか社会とのつながりを持ち、心の平安を保てたのは、このコーヒー活動のおかげ!

それ以外では暑すぎてそんなに鎌倉をうろうろする気にもならず、友人知人のお店にもそこまで顔を出さず、比較的省エネモードで過ごした。

友人何人かと母、息子には会ったけど、海が遠くて由比ヶ浜や材木座には行けなかったなぁ……

平和活動と旅と

いすみで

もう一つ私にとっての大事な平和活動と仲間たち。

上の写真は前のものだけど、帰国して数日後にソーヤー海くん(アフロのほう笑)と少しだけ会えて近況報告と今後の話を少し。

そしてこの秋の大きなインドでの学びの企画を一緒に運営していくことになった。最近はひたすらこの準備をしている。

インド【3つの平和 Triple Peace】サティシュ・クマールとヴァンダナ・シヴァの特別合宿!

海くんは毎年アメリカ、イギリス、インド、ベトナム、タイなどを旅しながら平和活動していて、「私も一緒に行きたい……」と思い続けていた😅

東京やオンラインでのパーマカルチャー活動は一緒にやってきたけど、海外のはこれまで一切関われなくて……

それにはいろんな状況がお互いにあったけど、今回関わらせてもらえることにとても感謝しているし、ようやくインドに行ける!サティシュとヴァンダナに会える!とワクワク(&ドキドキ)。

ここでピースボートでの経験も何かといかせそうだし、この数年で確実に私はタフになり、紆余曲折しながらも向かいたい方向に歩めている気がする。

こういった活動はどうしてもボランティア的になりがちで、もちろんパッションがあるからそれでもある程度はできてしまうけど、そうは言っても私たちには生活だってある。

自分たちが疲弊・消耗せず、養われるような活動のあり方を追求しながら進めていきたい。つまり、相変わらず私は安定収入や安定した生活とは無縁だということ笑

ただ、どうやら「平和活動と旅」というのは今後も私にとっては要となるような気がしてならなくて、そんな新しい可能性が開けたのもピースボートのおかげだろうな。

こんな風に自分が好きなこと、やりたいことが形になる日が来るなんて!

とにかく無理なこと、合わないことを手放す

鎌倉の山側での暮らし

……なんて言うと素敵に聞こえるかもしれないけど、実際にはこの日本滞在中にずっと葛藤し続けていた。

これまでもこのブログに書いてきたように、合わないことをがんばってやって調子を崩し、「もう無理するのは止めよう!」と度々言ってきての今がある。大きかったのは2年前のこれ:

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なのにまた今回も、これからの人生に不安になって焦っていた!そして気が向かないことをやろうと、必死にリサーチしていた笑(だってピースボート後の仕事、ろくに決まってないんだから)

でも、友人たちに「ロミさんはいつもなんとかなるから大丈夫だよ」「好きなことをやっていたら上手くいくよ」というようなことを言われて……

確かになんだかんだで、たくさんの人に支えてもらいながらこうして生きている。(生き延びている??)

もうすっかり宇宙?とやらにsurrenderして、身を委ねて、頭であれこれ考えずに直感に従って生きていけば?

だってかつての鎌倉への引っ越しも直感でピンと来て、結果的に私の人生は以前から大きく変わった。

今回のピースボートだって直感で「今乗りたい!大変だとしても!笑」と思い切って、もうそれは全身全霊で飛び込み、やり切った今「くそぉーーまた乗りたいじゃないか!」と思っているのだから😆

そんなことが1週間前くらいにストンと腑に落ち、ジタバタするのをやめてみることにした。

ピースボートから離れてみて気づく大切なこと

もうなんて言うか、書いていて恥ずかしいくらいにピースボート愛が溢れてしまってないか??笑

さすがにここまでになるとは思っていなかった。だって船の上の4ヶ月弱は、本当に本当にきつかったんだもの!

それでもこうしてあの場所から離れてみたとき、もうどうしようもなく洋上生活とそこで働いていたみんな、お客さんたちが恋しくてたまらなくて……

これは鎌倉を離れたときには感じられなかったもの。鎌倉は好きな街だし、大切な友人たちもいるけど、自分の居場所という感じがしない。

私が求めている「一緒に何かを作っていく仲間たち」が、今はほぼいない。

自分が役に立っている感覚や、貢献できる場がない。それは残念で寂しくもあったけど、実際にそうだった。

こういったことを感じられたのがピースボートであり、私がそこにいたい!と感じるためには大事な要素なのだと思う。

そんなわけで、日本一周を終えたピースボートのパシフィックワールド号が横浜港に戻ってきた!会いに行ってきたよ!(船だけでなく人にもね❤️)

好きな人や場所と離れる辛さはかなりあったけど、でも離れたからこそ気づけることもある。

だからきっとこの3週間は無駄にはなってないだろうし、実際こうやって記事にしてみていろんな思いが湧いてくる。

数日後、インドネシアに旅立ちます!

ピースボート

最後に…… 4ヶ月近くあった超濃厚な生活が、突然目の前から消えることの衝撃はものすごい、ということを伝えさせてください😂

きっとこれは私に限らず、ピースボートに乗っていたお客さんやスタッフも、下船したら少なからず経験したのでは?

そしてなんだかんだあの生活が恋しくてたまらなくて、また何度も乗ってしまう。抜け出せなくなるのだろうなと思う笑

危うく廃人になりかねなかった私を救ってくれたのは、この地元周辺でつながりのあった友人たちの支えがあったからこそ。

日本への恐怖なんて書いたけど、大事な人たちはたくさんいるから、また帰ってきます!笑

ただ、今後はもっともっと軽やかに日本と海外を行き来するか、それとも海外を拠点にするか、船にたくさん乗るか??

そんな生活を思い描きながら、まずはインドネシアへ行ってきます🇮🇩

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この記事を書いた人

Romy | ロミーのアバター Romy | ロミー 〜Celebration of Life〜

横浜・NY育ち。鎌倉暮らし7年半を経て2023年末に家を手放し、移動生活をスタート。「いのちの祝福」をコンセプトに、地球一つ分のパーマカルチャー的な暮らしの実験と旅をしているモバイルボヘミアン。 4月から7月はスタッフとしてピースボートに乗船!
→ Romyのプロフィール詳細

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