1番ほしいものをあきらめて2番3番で妥協していた理由と「自分を大切に」のむずかしさ

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※2022年10月11日にnoteに更新した記事をこちらに移行し、加筆修正しました

どうやら私はこれまで、心の奥底では1番ほしいものがわかっているにも関わらず、それを手に入れようとせず、2番目、3番目くらいのもので妥協してきたようだ。

それに気づいたのは、男性とのここ最近の関係について考えていたとき。

男性のほうから「好き好き〜♡」と積極的に来られて、私はまだ同じくらいの温度感になっていないのに「まぁいっか……」って妥協しそうになって。

これはそこまで本当はほしくないんだよなぁ

でももっとほしいものが手に入るかわからないし

じゃこれでいっか?

多分こんな流れ(笑)書いてみると、なんと失礼な話なんだろう……

この現象について、過去を振り返りながら自分なりに分析してみた。

目次

どうせ1番ほしいものは手に入らない」のルーツ

「どうせ1番ほしいものは手に入らない」という思い込みはどこから来ているのだろう?とルーツを辿ってみると、やはり子どもの頃に思い当たる出来事があった。

小学4年生までアメリカで過ごして日本に帰国し、5、6年生は横浜のインターナショナルスクールに通っていた私。

でもそこが合わず、東京にあるアメリカンスクールに通いたい!と両親に頼み、見学にまで行ったものの通える距離では到底なく……

「じゃ日本の学校に行く!」とよくわかってない私は言い出し、結局私立の女子校に編入することに。(そしたらインターよりさらに大変な環境が待ち受けていた)

その後中学高校でもいろいろあり、大学進学で主に父親と揉めながらも受験勉強に励み、受けた大学は全て合格。

1番行きたかったところはまたしても実家からは遠く、一人暮らしという選択肢はなぜかなくて…… せっかく受かったのに断念し、2番目にいいと思った大学へ進学した。

あきらめと妥協は自己防衛?

とまぁ、このようなエピソードはその後も就職、仕事選び、結婚生活、そして最近の恋愛まで、探せばあらゆる場面で出てくる。

最初の「1番が手に入らなかった」出来事はもっと幼少期にまで遡る可能性もあるけど、とにかく何度かの経験を経て「どうせ1番ほしいものは手に入らない」思考が身についた。

そしてまたガッカリしたり傷つくのを避けるため「最初からほどほどのもの、2番3番くらいのもので妥協しよう」と思うようになったのでは?

そうすれば、それがうまくいかなくても「もともとそこまで好きでもなかったし」と言い訳ができてしまう。落胆も少ない。

そうやって自分を守ってきたつもりなのかもしれない。

家族との関係性の維持やバランス

あとは「相手との関係性に荒波を立てたくない・嫌われたくない」という理由もありそう。

これまで大きな選択をするときは、大抵両親の存在、元夫の存在、息子の存在、など何かしら家族の影響があった。

そうすると、自分の気持ちを尊重したり主張を通すことよりも、相手とうまくやっていけるようにバランスを取ってしまう傾向にある。(てんびん座だからなのか?)

自己共感と他者共感

昨日会っていた友人とお互いの恋愛や夫婦関係のことなどを話していて、彼女に言われたことがなるほどなーと思った。(NVC/非暴力・共感コミュニケーション仲間)

「Romyちゃんは、自己共感をもっと深いところまでしてあげるといいのかもね」といった内容。つまりこれまでは

  • 自己共感<他者共感

となっていて、自分よりも相手を優先してしまっていた。だからこれからは

  • 自己共感→他者共感

自分の気持ちにしっかりと寄り添った上で、相手と話し、つながり、お互いにとって納得のいく道、ハッピーになれる方法を探っていく。

そうやってバランスを取っていけたら、てんびん座らしい美しい調和の世界が築けるのかもしれない。(なぜそんなに星座を持ち出すのか私😅)

「自分を大切に」ってむずかしい

いつだってまず自分を大切にすること。

それを何年も意識し、言い続けてはきたものの、やはり長年の妥協グセや相手を優先してしまうクセは抜けないのだろう。(少しずつよくなってきてはいる…… 多分)

ひたすら練習し続けるしかないけど、「私はこれがほしい!好きだ!大事にしたい!」って心の底から思ったことを表現していきたいなと思う。

この記事を書いて約1年経っての追記

2023年9月現在。

上記の文章を当時はnoteに投稿し、改めて読み直したときに「私にとって大きな課題だな」と感じ、本ブログに残しておくことにした。

そして約1年経った今はどうかというと、似たような思考に陥っているかもしれない自分に気づき、「これは幼少期からのトラウマで、長く付き合っていくしかない」とも思っている。

玉ねぎの皮のように、少しずつ剥けていっている気がするし、年々自分の核心に近づいている感覚はある。でもなかなかたどり着けない!

いや、さすがにチラッと見えてきたかも??

そんなところに今います😌また1年後に読み直したら、どう思っているかわからないけど!笑

とにかく自分へのcompassion・思いやりを忘れずに、焦らず、でも心の声を大切に歩き続けたい。人生は終わりなき旅で巡礼だからね✨

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この記事を書いた人

Romy | ロミーのアバター Romy | ロミー 〜Celebration of Life〜

横浜・NY育ち。鎌倉暮らし7年半を経て2023年末に家を手放し、移動生活をスタート。「いのちの祝福」をコンセプトに、地球一つ分のパーマカルチャー的な暮らしの実験と旅をしているモバイルボヘミアン。 4月から7月はスタッフとしてピースボートに乗船!
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